月雪ミヤコの地獄の行軍

月雪ミヤコの地獄の行軍


目次 前話


「ぐぅっ……こんな、ばかな……」

 

「そこまでだね」

 

荒い息を吐いて倒れたミヤコを見下ろしながら、ホシノは勝敗を告げた。

 

「これでミヤコちゃんの3戦3敗だね」

 

「くっ……」

 

「ダメだよ、そんなんじゃ。君はRABBIT小隊のリーダーなんだからさ、小隊のメンバーに後れを取るようじゃ、誰も付いて来ないよ?」

 

ホシノの言葉がミヤコに突き刺さる。

否定しようとしても、今しがた衆目の目の前で起きた事が物語っていた。

サキ、モエ、ミユの3人を相手にした模擬戦で、ミヤコは敗北したからだ。

銃を使わない白兵戦。

ホシノから提案されたそれに、何の意味があるのかと最初は思ったものだ。

ミヤコとてRABBIT小隊を預かるものとしての自負があり、CQCなどの白兵戦の心得もあった。

同じく前線に出るポイントマンのサキには苦戦させられるだろうが、それでも容易く負けるつもりなどなかったのだ。

 

だが蓋を開けてみれば、ミヤコの全敗である。

モエには掴まれた瞬間、純粋な力で捻じ伏せられた。

ミユには腰よりも低い位置からタックルを受けて倒れ、即座に関節を極められた。

サキとは多少持ったものの、ミヤコの知るよりも数段早い動きで翻弄されて為す術なく殴られるに終わった。

荒い息を吐いて倒れているミヤコを見下ろして、ホシノは朗らかに笑いながら続けた。

 

「ミヤコちゃん、分かった? みんな砂糖で頭が幸せになっているけど、それは決して弱くなったわけじゃない。火事場のバカ力みたいにリミッターが外れているから、今までと同じだと思ったら大間違いなんだよ~」

 

「そんな……」

 

ミヤコがよく知るはずのRABBIT小隊の実力が、ミヤコの想定をはるかに上回っていたのはそういう理屈だったのだ。

特別に鍛えたわけでもなくこれでは、今までの経験や常識が通用しない。

 

「これからミヤコちゃんは、このアビドスで治安維持部隊として過ごす。でも今のミヤコちゃんはとても弱い。このままだと誰も君の話を聞いてはくれないし、ろくに鎮圧すらままならないってことをまずは自覚しようね~」

 

ホシノの指摘に反論はできなかった。

今のミヤコは弱い。

精神的な部分で負けているだけでなく、純粋に実力が足りていないことを思い知らされた。

こんな弱さでは舐められるに決まっているし、悪事を食い止める犯罪の抑止力足り得るはずもない。

 

「私は……強くならなければいけないのですね……今よりもずっと」

 

「そうだよ~。でも大丈夫、おじさんがちゃ~んと鍛えてあげるからね!」

 

「……よろしく、お願いします」

 

苦渋の決断であろうとも、今はホシノに頭を下げるしかない。

かつてのRABBIT小隊を取り戻すというミヤコの目的のためには、まずはアビドスでの確固たる地位を確立する必要がある。

そのために一番手っ取り早いのは、ホシノに気に入られ重用されることなのだから。

 

「ミヤコちゃんも乗り気なようだし、まずは基礎体力を付けるところから始めようか」

 

「……分かりました。ではどのようなトレーニングを?」

 

「そうだね~……」

 

どこから手を付けるか、と数瞬考えたホシノは、ピッと窓の外を指差した。

 

「うん、まずは装備を付けて外を走って来てよ。最初だからね、夕方までに戻って来てくれたらいいからさ~」

 

「行軍訓練ですね。では装備を整え次第、すぐに校舎の周りを走ります」

 

体力を付けるために校舎の外周を走る、ということであれば納得である。

SRTに入学した時も最初は戦闘技術よりも前に、限界まで走るところから始めたのだから。

やることは簡単でもそれをアビドス校舎の周囲に存在する砂漠で行う、しかもフル装備となれば砂に足を取られてすぐに疲弊することは想像するに容易い。

夕方までというのなら具体的な周回数などは指定されず、延々と走らされる可能性もある。

終わりが見えないマラソンをペースを乱さず走るのは至難の業だろう。

装備を整えようと踵を返したミヤコに対して、ホシノはあれ? と首を傾げた。

 

「……う~ん? ミヤコちゃんさ~、なぁんか勘違いしてない?」

 

だがミヤコの問いはホシノの想定とは違っていたらしい。

ホシノは指先を砂漠に向けて言った。

 

「外っていうのはそのままのことだよ。アビドスの外周。あ、水とコンパスは忘れずにね?」

 

「……え?」

 

ホシノの言葉にミヤコは耳を疑った。

この広大なアビドスの砂漠のさらに外周部分を、走るだって?

 

 

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「……ヒュー……ヒュー」

 

「ほらほら、ちゃんと走って~。まだ半分も行ってないよ~」

 

「なん、で……そんなに、元気……」

 

「まだ500kmくらいでしょ~。ミヤコちゃん体力なさすぎ」

 

お前があり過ぎるんだ、とミヤコは声を大にして言いたかった。

走らされるのは分かっていたが、既にフルマラソンの10倍以上の距離を走っている。

ミヤコの視界には砂しかなく、コンパスがなければどちらの方角を向いているのかすら分からない。

そんな気が狂いそうな景色の中を、延々と走ることになるとは思ってもいなかった。

 

「ゼヒ……ゼヒ……」

 

しかも砂漠という地形が圧倒的に不利だ。

砂に足を取られて思うように進まず、さらには重装備が容赦なく体力を奪っていく。

SRTで厳しい訓練を受けて来たはずのミヤコを以てしても過酷としか言いようがない。

だというのにミヤコと同じ装備を身に着けて、いやさ盾などの装備が増えている分より重いというのに、並走するホシノは平然としていた。

500kmは決して『まだ』で済ませていいような短距離ではありえず、ミヤコとしてはホシノの化け物具合に仰天して言葉を失うしかない。

 

「いいかいミヤコちゃん、地図は見たと思うけど、ここがアビドスと他自治区の境界なんだよ」

 

とっくに勢いが落ちて走るというよりも歩いているミヤコの隣を悠々と進みながら、ホシノは砂漠を指し示す。

 

「分かりやすい関所なんてないけど、ここから外はアビドスの自治が及ばない」

 

「理屈は、分かりますが」

 

「ミヤコちゃんはアビドスに来たんだから、SRTの時みたいに自治区を越えて悪い人を逮捕とか勝手にしちゃ駄目だよ。だから悪いことをした人たちがもし砂漠に逃げ込んだ場合、別の自治区の境界線から逃げられないようにその前で止めてね」

 

「……はあ」

 

ホシノがなぜこんなことを言うのか、ミヤコには理屈は理解できても意味は理解できなかった。

SRTではなくアビドスだから? それはいい。

悪人の逃亡を見逃さないように? それもいい。

問題はなぜ堂々と砂糖を広めるという悪行を成しているホシノが、自治区外での活動は控える、なんていう当然のことを言ってくるのかということだ。

 

今やアビドスの価値など砂糖しかなく、その独占した砂糖のおこぼれに与ろうと悪人が寄ってくることは自明の理だ。

独占利益を奪われないように抵抗するのは理解できるが、とはいえホシノもハナコもヒナも、そこまで金に執着している様子は見えない。

片っ端から人を集めてさらに高価な砂糖を惜しげもなく与えているのだから、さもありなん。

悪用するような悪人が自分の傘下にいないからといっても、現在莫大な利益を上げているなら、一人二人の小悪党に目くじらを立てるほどのことかと、ミヤコは首を傾げるしかない。

今まで見たような権力を持つ大人は、その権力の大きさ故か足元が見えていないことが多かった。

それ故に甘くなった防備の隙を縫って食らい付くことができていた。

 

だがホシノはあれだけ大それたことをしているというのに、子ウサギ一匹見逃すような寛容さすらない。

砂糖を摂らないミヤコは見逃すのに、砂糖を広める悪党は見逃さない。

金儲けをするのなら、例え最初に悪党の手によって広められても、結果として中毒者が増えるのなら良しと考えるのが普通ではないのか?

ホシノのそのちぐはぐさが言葉にできない違和感となって気持ちが悪い。

 

『まるで砂糖が広まってほしくないかのようだ』

 

鼻で笑うような思考が脳裏を過ぎり、すぐに捨て去った。

自他ともに認めるこの悪党がそんなことを思うはずがないのだから、きっと脱水で頭が茹ってしまったに違いない。

 

「み、水……」

 

「無理して倒れても困るし、休憩しようか。ちょっと休んでお水飲んでいいよ~」

 

「……」

 

「……ミヤコちゃん、水もうないの?」

 

「う……」

 

既に空になってしまった水筒を振る。

ピチャリとすら音を出さないそれを見て察したのか、ホシノは自らも背負っていた荷物を開けた。

 

「ほら、おじさんの予備の水あげる。一気に飲みすぎちゃだめだよ?」

 

「あ、ありがとう、ございます……」

 

差し出されたペットボトルに飛び付いたミヤコが礼を言う。

ここで飲まなければ命の危機なのだから、意地を張って断るなどできようはずもない。

 

「喉もカラカラだろうし、とても美味しいだろうねぇ」

 

「え……?」

 

ペットボトルを開けて口を付けようとした時、ポツリと呟いたホシノの言葉に手が止まる。

 

「ん? どうしたのミヤコちゃん、飲まないの? 飲まないと死んじゃうよ?」

 

「あ、ああ……ま、まさか……」

 

ブルブルと手が震える。

決してそれは脱水による痙攣などではない。

ミヤコの脳裏に過ぎった疑念が、思考を支配したからだ。

この水を用意したのは小鳥遊ホシノだ。

なら小鳥遊ホシノとは? 『砂漠の砂糖』を広める中毒者でアビドスで暗躍している元凶だ。

ならその中毒者が出したこの水に、なぜ何も入っていないと疑わなかった?

自分が飲むために用意したのなら、『砂糖』か、あるいは『塩』が入っていて然るべきでは?

 

ここは砂漠の端で周辺には誰もいない。

声を上げたところで助けなど期待できない。

水を飲まなければこれ以上動けず死ぬ。

だがもし砂糖入りの水を飲んでしまえば、ここで終わってしまうのだ。

 

「うへ~、気づいたんだ? さすがはSRTといったところかな」

 

頭と体で矛盾する葛藤に震えるミヤコを見て、ホシノは満足そうに笑った。

 

「これからアビドスで暮らすんだからさ、他人からもらったものを安易に口に入れたりしたらダメだよ。勉強になったね?」

 

「どの口で……」

 

「そりゃあ、おじさんは何も入れてないからねぇ。よく見なよ、そのペットボトル。開封された跡はないし、製造年月日もだいぶ前だ。だから砂糖なんて入っていないよ。そもそも水が欲しい時にもっと喉が渇くようなもの混ぜるわけないでしょ」

 

ホシノの言う通りにボトルに視線をやると、半年以上前の製造年月日が目に入る。

キャップとリングもつながっており、開封したときにブリッジが外れたので、未開封であることは確認していた。

 

「おじさんがハナコちゃんと一緒に始めたこの事業はまだ日が浅いからね。工場を活用した製品ともなると、それこそほんの最近と言っていい。だから注意すれば避けられるよ?」

 

水の匂いを嗅いでみる。

あの特徴的な甘い香りは感じられない。

一滴だけを掌に落とし、すぐさま吐き出せるように警戒しながら、舌先で微かに触れる。

何もない。

みんなが言っていたような脳に突き抜けるような衝撃の多幸感も、止められないような甘さもない。

何か混入されている様子はない、何の変哲もない水。

そのことに気付き、砂糖を摂取しなくて済むのだと理解して、ミヤコは安堵から脱力してへたり込んだ。

 

「そもそもミヤコちゃんは砂糖を摂ってないことを理由にスカウトしてるんだから、おじさんがそれを無下にする必要はないよね~」

 

その通りだ。

だがミヤコからしたらホシノなど、その悪行を鑑みると信用に値する相手ではない。

 

「それじゃ、お水飲んだらランニングの再開と行こうか。もう十分休んだよね?」

 

「……一つ、いいえ二つ言っておくことがあります」

 

「およ? どうしたの?」

 

「私は貴女が嫌いです。地獄に落ちてください」

 

「……うへ~、辛辣だなぁ」

 

苦笑いを浮かべるホシノを横目に、水を飲んだミヤコはランニングを再開した。

ミヤコを弄ぶホシノは嫌いで、いっそ振り切って砂漠に置き去りにしてやりたいと願って止まない。

だがそんなミヤコを嘲笑うように、見逃さないと言わんばかりにホシノは傍を走る。

 

結局日が落ちてアビドスの校舎に戻るまで、ミヤコは何度も体力を失って立ち止まり、その度にホシノの助けを必要とした。

ホシノはアビドスでの生活の心得を、砂糖入りかどうかの警戒と目利きを鍛えるようにと耳にタコができるほどにミヤコに言い含めていた。

上から目線で言われる煽りともとれる忠告に反発心を覚えながらも、それを跳ね除けるだけの強さを、未だミヤコは持たない。

都合のいい手駒に容易く壊れられては困るのだろう、とミヤコは自嘲した。

己の不甲斐なさに歯噛みしながらも、今は臥薪嘗胆の時とミヤコはホシノへの怒りを燻らせ続けるのだった。


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